◎最初の試合の観客はわずか3名でした
当時、東芝勤務の『古澤進二』ふるさわしんじ大分出身は世界のサッカーが大好きで必ずワールドカップにも観戦に行く熱狂的なサッカーファンであった。
トリニティができ、大分にサッカーチーム誕生と同時に太鼓を持ち出し、自ら率先をして試合時には応援をしていた、しかし彼のサポーター仲間は3人しかいなかった。
彼と2人の女性(チームマネージャー)であった。
しかし、古澤が応援を重ねるたびにサポーターは増えていき、チームが大きくなるにつれ1999年には溝畑GMより彼のサッカー情熱にほれ込み、広報部門の強化で古澤を抜擢。
大企業を捨ててサッカーを仕事に選んだ。
彼は人一倍、涙もろく、選手が去る時、監督が去る時は亀の産卵といわれる程泣いていた。
そんな優しい古澤はいつの間にか?『チョコちゃん』というあだ名を付けられた。
恐らく、甘く優しい男優なのである。
2001年には運が悪くアウェーの試合で11試合連続勝ちがない状態で当時監督であった石崎信弘氏に『お前が来ると負けるんじゃ』と言われチョコちゃんは憤慨していた。
ためしにアウェーを広報不在でお留守番させたら試合は勝利した。
チョコちゃんはショックを受けた。
また、2008年はナビスコカップ優勝の裏には『チョコちゃんお留守番』で大分のテレビでチョコちゃん号泣映像が流れていたのだ。そう、当時のスタッフはチョコちゃん以外は国立に行っていたのだ。
チョコちゃんは大事な世紀の一戦には大分県に居たのだ。いや、最高顧問の朴(パク)から諭されたのだ。『お前が行って勝てば天国だ、負ければお前は一生地獄だ』と釘をさされた。
2013年11月現在、チョコちゃんは今も大分トリニータで広報担当として奮闘中である。